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日本で感じる決済の違和感
皆さん、こんばんは!
今回のMoney20/20 Europeと北欧&エストニアの旅は、色々な意味で中身が濃かったので、未だに日本にいるのに時々違和感があります。
それは、お店での決済の時です。
大きく2つ。
一つは、カード決済をする時に、お店の人にカードを渡すことです。
欧州では、カードは自分で端末を使って決済手続きをします。カードを人に渡すことはありません。カードをお店の人に渡すことに今でも違和感があるわけです。
もう一つは、買い物の金額が少額だとクレジットカードを使う時、お店の人が一瞬怯む時です。当たり前のように受け取って貰えないと、カードを使うことがいけないことのように感じるのは良くないですね。
旧東欧小国エストニアの深い哀しみ
エストニアの首都タリンの人口は約42万人です。エストニア全体で人口が130万人しかいなので、当たり前といえば当たり前ですが、とてもこじんまりした街です。
30分遅れて飛行機が到着した空港の規模は、日本の地方空港と大差がありません。
けれども、空港のデザインから色合いまで、とても個性的で、「あっ、エストニアに来たな~!!」と実感することが出来ます。
来る前から一番楽しみにしていたのがエストニアですから、心躍りました!!
(空港のターンテーブルまで可愛らしい!!)
空港から街中までタクシーで10分から15分くらいです。
私は2泊しましたが、2日目の夕方にはトラムもバスも路線図を持って乗りこなして郊外の方まで出かけていました。いかにこじんまりしているか分かって頂けると思います。
着いたらすぐに、旧市街地内になる人気レストランで白ワインと食事を楽しんで優雅に中世の街を楽しんできましたが、私が絶対に行こうと思っていた博物館がありました。
エストニア歴史博物館です。とてもこじんまりしていますが、エストニアの1万年の歴史を発掘物などと共に展示しています。
小さな建物なのにたくさんのスペースを割いていたのが、エストニアで使われた紙幣と硬貨の展示でした。それは1200年くらいからソビエト連邦に占領されていた1991年までの沢山の種類の紙幣と貨幣、そして、当時の物価が幾らだったのかをパンを1個買うのに幾らしたのかなどの説明と共に分かり易く展示してありました。
そして、一番衝撃を受けたのがこの写真です。
(使われなくなったエストニアの旧紙幣)
エストニアは、その歴史の中で、2回ソビエト連邦に占領されています。1991年に独立を果たした時、独立した国家として機能するに足るだけのインフラはほとんどなかったにも拘わらず、紙幣と貨幣を一新しています。
その時に、人々はソビエト連邦時代に使っていた紙幣と硬貨を即放棄したそうです。
エストニアの人々にとって、紙幣と硬貨は、その支配の象徴となっているのだと思いました。
ですから、旧ソビエト連邦の支配を極端に嫌っていたエストニアの人にとって、1991年の独立後の常に変わらない思いは、「二度とソビエト(ロシア)に国家を支配されないようにする」ことだったわけです。
旧ソビエト連邦はCOMECONという域内経済協調体制を敷いていました。その中でのエストニアの役割はIT関連産業だったそうです。
その人材のみが当時唯一のエストニアの優位性だったと言っても過言はないと思います。
そのIT技術研究所の人材を活用して、もし仮に再び旧ソビエト連邦に国土を支配されることがあっても、国家機能をすべてネット上(サーバー上)に構築すれば、エストニアという国家機能まで奪われることはないというのが、エストニア人の切なる思いだったそうです。
そうして生まれたのが、E-Government(電子政府)だったわけです。
現在、国家機能の99%がネット上で完結するようになっているそうです。
(タリンの駅近くの市場のトイレの蛇口はあまりにもIT的?)
帰結としてのキャッシュレス社会
ですから、エストニアでは首都タリンのみならず、国土全般に渡ってインターネット環境が整備されているそうです。
少なくともタリンに居て、「やっぱりSIMを買ってくれば良かった…」と後悔をする機会は一度もありませんでした。
それくらい、ネット環境が整備されていて、Wifiだけで十分観光情報を確認したり、メールやSNSにアクセスしたりするのに苦労はしなかったわけです。
そんな環境ですから、お店には必ず無線Wifiが飛んでいます。
ですから、お店での決済は、携帯を使ってネットを繋ぎ決済端末を使ってカード決済をするのが一番楽だというわけです。
また、タリン市内のトラムとバスは、タリン市民は無料なんだそうです。
それは、タリンの経済効率を低下させないために、渋滞を発生させないようにとの市政の政策であり、その結果、交通機関に乗るためにお金を払うという習慣がありません。
(もちろん、タリンから地方に移動する鉄道は有料ですが)
そして、小学校に通う子供たちもスマホを持っています。
このような環境が整備されていたら、おのずとキャッシュレスになっていくというのがエストニアの実態というわけです。
つまり、日本のように、Fintech企業や経済産業省が旗振り役となって、「日本は遅れていますよ!!キャッシュレス決済に移行しましょう!!」などと、声高にアピールする必要もないわけです。
ですから、タリンでは、観光地でもスーパーでも普通に人々はカードを使っています。
私が見た限りでは、visaやMastercardなどのブランドカードを使っている割合が圧倒的に多かったように感じます。
もちろん、観光地でも地元のスーパーでも現金を使うことは出来ます。
けれども、スーパーを除くと、物の値段は切りが良い数字になっていて、お釣りに貨幣をたくさん準備しなくても良いようになっています。
(ですから、観光地のKioskではミネラルウォーターなどは割高になります)
実際に、タリンの旧市街地には、銀行のATMが普通にありました。
アメリカのショッピングモールと同程度の数のATMは置いてあったような感じです。
観光客と思われる人たちがATMを使っている姿を普通に見かけました。
自然な感じで老若男女皆さんが、カードやモバイル決済を使いこなしているのがとても印象的でした。
(中世のような旧市街地にあるロシア的建物)
エストニアに関して言えば、IT先進国という基盤の上に、極めて自然にキャッシュレス社会が構築されていました。
日本の古いカード決済ネットワークや使い勝手の良くないカード端末などに違和感があるのは、こういう国に行ってキャッシュレスで過ごしてしまったからだと思います。
けれども、エストニアの歴史は哀しいと心から感じました。
(左側の建物はおそらく旧ソビエト連邦時代の建物)
今でも多くのロシア系住民が住んでいます。彼らの多くはエストニアの国籍を持っていないそうです。
(つまり、Visaを持って滞在しているということになるかと思われます)
髪の色や肌の色合いで、ロシア人だとなんとなく分かるのですが、彼らは、市場などでも、ほとんど話をしません。ロシア語は原則エストニアでは禁止されているからだそうです。
ロシア語とエストニア語の違いが全く分からないので、私には結局関係がなかったのですが、バス停の文字など、確かに普通にアルファベット発音をしてもなんとか通じました。
ということは、ロシア語ではないということかと思います。
旧市街地の外にある小さなスーパーマーケットに一度買い物に行きましたが、明らかにロシア人だと思われる人が無言で買い物をしている姿を見て、(明らかに観光客と分かる)私には優しく声を掛けてくれたレジのお姉さんの対応に、心が痛みました。
こんなところにも、旧東西対立の爪痕が残っている…
(旧ソビエト連邦時代の建物、今は廃墟となっています)
深く考えさせられた美しくも哀しいタリンの2泊3日でした。
To be continued