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父最後の外出(退院の日)
前回のブログ父との最後の日常会話
父の退院は2019年1月21日でした。午前中に入院費用の計算をして支払い明細が上がってくるのが11時近くなるので…と看護婦さんから言われていたのですが、10時半過ぎに、父の友人と病室に到着するなり、既に着替えをバッチリ終えた父・・・
父「おい!!遅いぞ!! 👿 」
いえいえ、お父さん、未だ入院費用の支払いが出来ないんですよ~と言おうと思ったら、父は一緒に来てくれた友人を見つけて、大喜び 🙂
父の友人に、父を任せて、私は入院費用の支払いと、最後のお医者さんとの面談です。
先生曰く、ここ数日で父の肝臓機能がガタッと落ちたそうです。恐らく痛み止めの薬を強くして、投薬頻度を上げていることも一因だけれども、確実に癌は大きくなっているとのこと。
『緩和ケア病院の予約を取っていますよね?ご自宅で過ごさせてあげたい気持ちは分かりますが、なるべく早く緩和ケア病院に入院することをお勧めしたいと思います。可能性としては低いですが、癌がひどくなる前に、心臓や内臓が弱って自然死に至る可能性もないわけではありません。24時間看護が付く緩和ケア病院が安心ですよ。』
後から聞いたのですが、一人で父を看病していた私をN大病院では体調を壊すのではないか?と心配してくださっていたようです。
自宅へ
退院の手続きを終えて、父の面倒をよく見てくれたヘルパーさんが1階まで車いすで送ってくれて、タクシーで自宅まで戻ることになりました。
そして、これが結果的に父の最後の外出となりました。
「もうすっかり寒くなったねぇ~ 😯 」と言いながら外を見ていた父。そのうち薬が効いてきたのか、タクシーの中で寝てしまったようです。
そして、自宅では、訪問看護師さんが待機していてくださいました。
癌が相当進行しているはずなのに、まだ自分で色々やりたいと言い張る父と、もう無理だからと宥めすかす看護師さん。この看護師さんには本当にお世話になりました。そして、数日後に訪問して頂くことになっていたケアマネージャーの方や地域包括センターの看護師さんからも状況を聞くお電話が入りました。
何とか落ち着いてベッドで寝入った父。その横顔はやつれて、腕や胸のあたりは痩せていました。
濃厚度栄養点滴をセットして、洗濯までしてくれた看護師さんからは、「思ったよりも癌が進行しているようですね。数時間置きに様子を見に来ますから、安心してくださいね」とのこと。かなり悪いんだな…と覚悟する一方で、ようやく自宅に戻って安堵して寝ている父の顔を見てホッとしていたのを覚えています。
せん妄行動
急激に進行する癌と、薬の影響で、多くの癌患者は末期癌になるとせん妄行動をとるようになります。父も例外ではなく、せん妄行動が出始めました。
父のせん妄行動は主に2つでした。一つは、朝起きた時に、頭が混乱するらしく、家の中のものを散らかしてしまうという行動です。これは、看護師さん曰く、本人は覚えていないので、命の危険となる行動はしていないので、そっと片付けてあげて特に本人に言う必要はありませんとのことでした。
もう一つは、昼間に寝て起きた時に、どこにいるか分からなくなることです。
当時、父の家で昼間を過ごすようにしていたのですが、起きると父は、
「ここは家だよな~。お味噌汁でも食べたいな…」などと言い出しました。
既に固形物を食べることは出来ないので、お汁だけのお味噌汁を簡単に作れるものを買ってきてあったのですが、何も入っていないお味噌汁を美味しそうにゆっくり飲んで、相変わらず娘にお小言を言っている父の姿を見ると、これが2か月前には自分で台所に立って料理をしていた人なのかしら?と癌の進行の早さを痛感しま した。
娘グロッキー
そんな風に父に付き合うこと数日、ケアマネージャーの方が力を尽くしてくれて、ヘルパーさんをすぐに手配してくださいました。その間に、緩和ケア病院への訪問、そして合間に仕事をしていた私は、数日経った朝に、疲れると癖になっている鼻血が出てしまい動けなくなってしまいました。
訪問看護師さん、ヘルパーさん、包括センターの看護師さんと、総動員して父の面倒を見てくれたのですが、夕方まで顔を出さない私はどうしたのか?と父は相当動揺して、訪問看護師さんが、「少し疲れが溜まって、鼻血が出てしまったので休んでいます」と話したら、父は半狂乱になって、「早く救急車を呼んで薫をN大病院に連れて行ってくれ!」と大騒ぎになったそうです。
翌日、耳鼻科に行き、鼻血は事なきを得て父の家に行った時、
「お父さんは、もう緩和ケア病院に入院しようと思う。家で療養するのは難しいと思うから。」
と言い出しました。
それが、父が亡くなる2日前の夕方でした。
その翌日、私はほぼ終日父に付き添っていました。
父の浮腫んだ足をマッサージしてあげて、病院に行くと決めてスッキリしたのか、気分が良いらしい父とのんびり話しをして、夕方はジムに行って、また父の家に戻り・・・
布団を蹴っ飛ばしていたので、きちんと布団を掛けてあげて、足をもう一度マッサージしてあげました。
「もういいから、自分の家に戻って寝なさい。お父さんは眠いから寝る」
と言った父。
玄関を出る時に、私はもう一度父に聞こえるように大きな声で叫びました。
「お父さん、おやすみなさい!!また明日ね!!」
「おやすみ‥・ 😀 」
と父の返事。
これが、私が聞いた父の最後の言葉になりました。
翌日の朝、父はベッドで静かに亡くなっていました。まるで眠っているように… 🙁
見つけてくれたのは訪問看護師さんでした。
救急車が来るまで、父に付き添いながら、私は、そっと父の頬を撫でながら、
「お父さん、もう苦しまなくていいんだよ。ゆっくり休んでね 😥 」
To be continued
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