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念願のうな重を食す!
前回のブログ 突然の退院許可
退院の日は、クリスマス12月25日でした。
父は朝から退院を心待ち 😀 にしていたようで、荷物を入れるためにキャリーバッグを持って病院に着いたら、父は既に着替えを済ませて‥‥洗濯をしていました(^_-)-☆
退院の会計が出るまでの間、「洗濯物の乾燥は午前中に終わるのかしら?」と想定外の心配をしながら待っていた私の横で、上機嫌な父。今から振り返っても平和な一コマだったと思います。
お会計やら、薬の説明やらを終わらせて、乾燥機が止まったら速攻でタクシーに乗って3週間ぶりの自宅へ戻りました。この時の父は足取りもしっかりしていて、末期がんの人には全然見えませんでした。
「早くひとりになりたい(色々一人でしたいことがあるらしい父)!!」
というので、父をマンションに残して早々に自宅に戻りました。
そして、夜は「少し疲れた…(-_-;)」(退院後いきなり日常生活に戻ろうとしたらしい…)というので、残念ながらお店にはいけませんでしたが、父が行きたかった鰻屋さんは私の中学校の時の同級生のお店。勝手を知っているので、クリスマスでかなり混んでいた中、Take outをお願いしました。
父の分は1人前、私の分は1.5人前(#^^#)
翌日、Take outした器が大方空になっているのを見て、ホッとした私でした。
『念願の鰻を食した父!!』
自由を望んだ父
退院2日目から、ちょこちょこと外出を始めた父。
最初は、主治医の先生のアドバイスがあったので色々言ったら、「お父さんは、ずっと一人暮らしをしてきて、自分のことは自分で分かるから、好きにさせて欲しい。気分が悪くなるから、細かいことは言わないで欲しい…」と珍しく真顔で懇願されました。
私が細々と言いたいのは、心配だったから、でも、父は自由にしたい!!
きっと、多くの癌患者を持つ家族が直面する葛藤なのだと思います。
その時は、少しだけ頭に来て(なにかあったら大変なのは私なんだよ~、お父さん!!)いた私でした。
けれども、今になって振り返ると、末期癌患者の人で緩和ケア中心に治療を受けている人の場合、本当に寝たきりになるには亡くなる数週間前なのです。
もう一回はないけれども、これから同じような境遇になるこのブログを読んでいらっしゃる方達にお伝えしたいことは、『緩和ケアで体調が良い時には、可能な限り本人が好きなことをさせてあげてください』ということです。
私は、心配しても心配しなくても結果は同じだと開き直って、退院翌日からは父を好きにさせていました。
そして、それは、振り返ってみれば、父の最後の日常生活だったのです。どれくらい好きなことが出来たのかしら?
父に聞いて確認はできなかったけれども、きっと父は父なりに満足をしたと思っています。
父が作った最後のお正月料理
退院後3日目からは、父は完全に普通の生活に戻ったような感じでした。
朝は8時くらいに起きてご飯を作って食べて、昼間は休みを取りながらも外出をしていました。
「ダメだよ!!」と言っても、近くのお気に入りに商店街に車を運転して行くのは止められませんでした。
当時は、まだ鎮痛剤も眠気が強くなるものではなかったので、強くは止めなかった私ですが、今年に入って高齢者が起こす交通事故が増えています。高齢者が引き起こす事故のニュースを見るたびに、「父が最後に交通事故を起こさないで良かった…(._.)」と思わずにはいられません。
後から訪問看護師さんにお聞きしましたが、手先が器用な父は普通ならなかなか慣れなくて自分ではできないストーマの交換作業もすべて完璧にこなしていたそうです。
結果として亡くなる1か月前の父は、そんな風に最後の日常生活を過ごしながら、入院中に約束した通り、栗きんとんと黒豆を作っていました。
(こんな風に全部手作りで作っていました)
夜に、私のマンションから見える向かいの父の家のお台所の灯り…
もっとしっかり目に焼き付けておけば良かったなぁ 😥
To be continued
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