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お父さん、家に帰ろう!
前回のブログ突然悪化する末期癌
父が治療を見込めない末期癌であることを悟った後は、とにかく癌が悪化する前に家に戻ってもらうことに奔走した私。今振り返っても、毎日毎日、市役所、病院、訪問看護師、ケアマネージャー、包括支援センター、そして父に頼まれる買い物(この辺りに父は娘に遠慮がないのが凄かった…)と、よく一人でこなしていたものだと自分で自分に感心しています。
「お父さんは、家でゆっくりお風呂に入りたいな~」と呑気な父
自宅に療養用ベッドを用意して、まだ介護認定は下りないけれども、それは病院からの書類が遅れてだけだからということで、特別に先にケアマネージャーを付けてもらい、後は父に戻って来てもらうだけというところまで準備を済ませました。
「早く帰ろうね、お父さん」
痛み止めのモルヒネ
その頃の父は、定期的にモルヒネを使わないと痛みが取れなくなってきていました。
なるべく鎮痛剤は使いたくなかったようで、午後3時過ぎに病院に行くと、朝に飲んだモルヒネがちょうど切れるタイミングだったらしく、ベッドの上で痛みに顔をしかめていることが多くなりました。
モルヒネは、使い方を間違えなければ、むしろ適切に使った方が良いと聞いていたので、痛がる父に、「薬を貰おう」といつも声を掛けていました。
座薬を入れてもらうと、痛みがスッと引いていき、穏やかになって寝入る父の顔は、日に日に衰えていることが分かりました。
高濃度点滴をしていても、癌細胞の威力は凄く、足は浮腫んでいても、腕はかなり細くなっていました。
「薫、こんなに痩せちゃったんだよ、お父さんは」と腕を見せる父。
父との最後の日常会話
もう数か月の命と悟った父は、家に帰ったら、仲の良い友人に車を運転して貰って梅や桜を見に行くんだ・・・と楽しそうに話しをしていました。
私がお見舞いに行く時は、時間的なタイミングで痛みが酷い時が多かったのですが、午前中や夕食後は比較的症状は落ち着いていて、退院後に、外出するために杖を自分で買いに行ったり、相変わらず末期癌患者の割にはアクティブだった父。
父は、自宅に戻ってからは結果的に一気に症状が悪化したため、父との最後の日常会話は、退院する直前のN大病院の病室だったわけですが、父と私の会話。
父「薫、もっとピシッとした洋服を着なさい! 👿 」
私「あのね、毎日病院に来ていて疲れているから、ゆったりしたお洋服を着ているの。大丈夫だってば、太らないから。ジムはちゃんと行っているもの 😆 」
父「お父さんが死んだら、薫は何を食べるんだ?」
私「ちゃんとご飯作って食べるよ!これでも昔はちゃんとご飯を作っていたんだから 😛 。お父さんほど上手じゃないけど、ちゃんと作れるって 😯 」
父「お父さんは、薫が面倒見てくれているけど、薫が年取って病気になったらどうするんだ? 😥 」
私「あのね、お父さん。今そんな心配してもしょうがないでしょう。時代が変わっているから大丈夫だって 🙄 」
一応、これが父と娘の最後の日常会話です。
今から振り返っても、結構呑気な会話をしていましたね 🙂
明後日が退院という日、父はもう荷物を持って1階まで歩いて降りることは出来ませんでした。荷物を持つ私に、ぶつぶつ言いながらも、「気を付けて帰るんだよ。今日はタクシーで帰りなさい!」と少し寂しそうに言っていた父。
この1週間後に、父が亡くなるとは、これっぽちも思っていなかった私は、父に笑顔を見せて手を振って最後のお見舞いを後にしたのでした。
To be continued
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