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介護保険の認定手続き
前回のお話し1人で過ごすお正月
お正月を病院で過ごした父は、本来は、1月4日に自宅で介護保険の認定員の方による認定チェックを受けることになっていました。4日の朝早々に市役所の担当部署に電話をしたら、幸いに入院している病院まで認定員の方が来てくれることになりました。
お正月らしい気分に浸る間もなく三が日は終わり、父の認定チェックに付き添うために病院に行くと、既に認定員の方は到着していて、廊下からベッドの上に座っている父を冷静に観察をしていました。
「先ほど主治医の先生には症状はお聞きしました。余命3ヶ月くらいの末期癌だそうですね。顔色は少し悪いですし、腹水が少し溜まっていますが、動作はしっかりしていますね、お父さま。」
という感想。そして、父への面談です。
緩和ケアには介護保険が使えます!
少し前までは、癌で自宅療養を選択した患者さんには、介護保険認定は厳しかったそうです。癌患者の方が完全に寝たきりになるのは、亡くなる数週間前で、緩和ケアがきちんと効果があれば、亡くなる直前までかなり普通の生活が出来るからです。
1月26日の早朝に亡くなることになる父にとって、1月4日は亡くなるまで約3週間前ということになりますが、まだその頃は、言葉もしっかりしていました。
振り返れば、父の命はもう最後のタイミングの寸前まで来ていましたが、言葉も頭もはっきりしていて、トイレにも自分で歩いて行っていました。
けれども、主治医の先生がきちんと説明をしてくれたのか、要介護状態であることを理解してくれて、「この後、ご自宅に帰ったら、どんなことを介護ヘルパーの方にやって頂きたいですか?」と、父に聞いてくれた認定員の言葉に、父は素直に、「毎日の簡単な掃除やごみの片づけと、食事の準備をお願いしたいです。」と、はっきり返事をしていました。
2週間前に一旦退院した時には、一人で好きにしたいと言っていたのが嘘のようです。
この段階で、父は、十二指腸が癒着してしまったので、固形物を食べることは出来なくなっていました。
中心静脈栄養を心臓に近い中心静脈にCVポートを設置することになっていたのですが、全体状態が徐々に悪くなっていたので、自宅に戻って欲しい私としては、父が無理をしないように、主治医の先生に末期癌であることをきちんと父に説明をして欲しいとお願いをしてありました。
この認定員の方によるヒアリングの段階では、まだ父は主治医から自身の症状の説明を聞いていなかったのですが、やはり緊急入院で懲りたらしく、終始神妙でした。
「お父さんは、緩和ケアだけ受けたい」
CVポートの設置も終わり、入院生活も少し落ち着いた土曜日の午後、余り遅くならないうちに病室に行った私に、父は珍しく静かな声で、
「主治医の先生から、お父さんの癌の状態を聞いたよ。お父さんは、積極的な治療はしないで、緩和ケアだけ受けて、自宅で過ごすのが難しくなったらホスピスに入ろうと思っている‥ 😥 」
と淡々と話し始めました。
ベッドに座った父の顔は、癌の影響で少し痩せてはいるけれども、まだ言葉も頭もしっかりしていて、足の浮腫みを見なければ末期癌患者には見えません。けれども、明らかに弱っているのは間違いありません。
「来るべき時が来たのかな‥ 🙁 」と咄嗟に気持ちを切り替えた私は、なるべく明るく言いました。
「お父さん、それならば、なるべく早く家に帰ろう!今、介護用ベッドの用意も進めているし、介護保険認定は未だ出ていないけれども、地域包括センターの看護婦さんが自宅療養のために必要な介護ヘルパーを派遣出来るように準備を進めてくれているから 🙄 」
主治医の先生からは、「CVポートでの高濃度栄養点滴が安定したら、自宅に戻れるようにしましょう」とお話を頂き、私は、毎日父を見舞いに病院に行った後に、市役所に行ったり、訪問看護師の方と打ち合わせをしたり、地域包括センターの看護師さんに相談をしたり、ダスキンに介護用ベッドの手配をしたりと、自宅療養に向けて忙しく準備を進めていました。
父は、家にいるのが難しくなったらホスピスに入りたいと言っていたので、緩和ケア病院へも紹介状を貰いましたが、私は訪問看護師さんに相談をして、なるべくなら最後まで父を家で看取りたいと段取りをしていました。
あと3か月…父は梅の花は観られるだろうか?桜の花は観られるだろうか? 🙄
とにかく、残された毎日をなるべく家で過ごしてもらおうと奔走したのでした。
「お父さんは、緩和ケアだけを受けたい」と言った父への、多分最後の親孝行が、この準備なんだろうと思い、涙を堪えていた毎日だったような気がします。
To be continued
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