父は膵臓癌末期

膵臓癌~大腸への癒着~

前回のブログ
N大病院に入院

『明日は来なくて良いからね!!』
言ってくれた父の言葉に甘えて、入院翌日の日曜日は、前日の疲れでぐったりしていた私。
特に電話もないし、多分何もないのだろうと思い、ジムに行ったりして…

そして、月曜日の面会時間になって病院に行くと、すぐに主治医の先生に呼ばれてナースセンターへ。
どうやら、造影剤を入れてCTスキャンや詳細な血液検査等々行ったらしい。
主治医の先生は、淡々とCTスキャンの写真を使いながら説明をしてくれました。

① これが、膵臓です。陰になっているのが癌です。かなり大きくて隣の肝臓と、少しですが肺にも転移していますね。
② ただ、血液検査を見ると、膵臓も肝臓も機能がほとんど落ちていません。ですから、痛みはあったとは思うのですが、症状として食欲不振などが出なかったのだと思います。
③ 問題は、この膵臓の頭の方にできた癌が大腸に癒着しているところです。CTスキャンを見る限り、いつ破裂してもおかしくないほど大腸がぱんぱんになっています。癌を治療する以前にこれが深刻です。
便の出すところを作ってあげないと、腸が破裂して腹膜炎か敗血症で命を落とすことも十分にあり得ます。既に、緊急手術の申請を手術室には申請してありますので、この場所から人口肛門を作る手術にお父さんの同意が欲しいのですが・・・
④ この手術に成功したとして、お父さんの余命は3か月から6ヶ月くらい。まずは大腸の癒着を治してから、癌のことは考えることにしましょう

 

 

 

 

 

(こういうことは淡々と説明をして貰った方が助かります)

いわゆる、膵臓癌末期、ステージⅣの癌です。

膵臓がんの基礎知識

昨日は、グロッキーになりながらも、膵臓癌のことはネットで調べまくり、医者の友人にも聞いていたので、主治医の先生の想定内のお話を冷静に聞くことが出来たのは、我ながら偉いと、もう一人の自分が褒めていたような気がします。
しかしながら、どうやら余り痛くも痒くもない父が、人口肛門に承諾していないとのこと。
とにかく父を説得しないと、オペ室を正式に申請出来ないようです。

手術、父の説得

これは、四の五の言っている場合ではなく…。
父は膵臓癌であることは頭では分かっていても、とにかく自覚症状がないので深刻さがない状態。別の見方はをすれば、現実逃避とも言えます。ただ、月曜日の夜になって少し熱が出て来たらしく身体がだるいようです。
意を決して…(-_-;)

私「お父さん!!人口肛門にしないと、もう二度とごはんを食べられないで、最悪敗血症で死んじゃうんだよ!!」
父「・・・・・それなら、手術をするよ・・・」

こういう時は、細かいことを言ったら口喧嘩になる親子なので、ここはズバッと言い切った。
そして、月曜日の午後の早い段階でオペ室を予約をしておいたことで、結果的に翌日の火曜日の午後に手術が出来て、結果的に一度は退院が出来ることになったわけだから、私の判断は間違っていなかったと、今でも思っています。

チグハグに深刻な親子

こうして僅か30秒で父を説得した私 ($・・)/~~~
直ぐにナースセンターに行き、主治医の先生を掴まえて、
「先生、父を説得しました。人口肛門にすると納得しました(納得したというより押し切られた感あり)。必要な書類にサインをしておきますので、オペ室が空いたらすぐに手術をしてください。明日は、14時まではどうしても外れない仕事で、病院には来られないのですが大丈夫ですか?」

 

 

 

 

 

 

後から知ったのであるが、本当はオペ病棟に行く前には、ベッドを変わるために家族がオペ前にいないと結構面倒だったらしい。
けれども、先ほどまで手術が嫌だと言っていたらしい父だったので、看護師さんも主治医の先生も、約1分で戻ってきた私に不意打ちを食らったらしい・・

『お父さん、手術を受けると言ったのですね!!良かったです。すぐに書類は準備します!!』

こうして、私は5枚か6枚か良く覚えていないのですが、かなりの数の書類にサインをして、とても親切なヘルパーさんが、「仕事忙しいなら、手術前の準備は私達がお父さんと一緒にやるから大丈夫よ!」言って下さり、無事、手術スタンバイOK。

「手術はせいぜい2時間弱くらいで終わりますから」と自信を持って言い切った主治医を見て、なんとなく安心して、帰る前に父にもう一度会っておこうとベッドに戻ったら…

父「おい、薫。この持ってきたリンゴ、多分食べられるようになる前に悪くなるから、薫が食べなさい!!美味しいリンゴだから」

(リンゴですか‥‥($・・)/~~~( 一一))
と父に言われて、持たされた2個のリンゴと一緒に帰宅をした私は自分の家のリビングに入るとぐったり‥‥
病院では冷静さを保っていたけれども、父の余命がかなり短い膵臓癌末期であったこともショックだったし、人口肛門(ストーマ)を付けなければいけないこともショックだった…(-“-)
けれども、痛みがないせいか深刻な様子を見せない父の姿が、私のためを思ってなのかもしれない…と思うと切なくて、思わず涙が流れてきて・・・( ;∀;)

そして、そのリンゴが目の前に…
このリンゴのお陰?で深刻さが軽減されたのは父の作戦だったのかしら??

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、その時握り締めていたリンゴは、しばらく私の家の冷蔵庫に眠ることになったのでした…

To be continued

大学卒業後、官僚として働く。NYに遊びに行った時、ウォール街をぶらついていた時の軽い閃きから、公認会計士を目指そうと思い立ち、心機一転、電卓も使えないのに公認会計士試験の勉強を始める。 1年後無事合格するも、当時は公認会計士は大変な人余り状態、かなり苦労をして中堅監査法人に就職・・・。 しかし、仕事と上司には恵まれ、株式公開準備業務、国際部の立ち上げなど貴重な体験を経て、図らずとも独立。その後、事業会社のCFOや社外役員などを経験し、ブランドプリペイドカード発行事業を手掛けるなど、涙と笑いに包まれた経験を続ける。時々、当初の思惑と現実のギャップに日々苦闘と笑いを繰り返す毎日を過ごしている。 In English https://www.linkedin.com/in/kaoru-arai-28332370/

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