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回復は気力次第
前回のブログ4時間かかった緊急手術
2時間の予定が4時間となった緊急手術を見届けて家に帰って爆睡した私も、翌日朝起きるとすぐに父のことが気になりました。この日はお昼に1つ仕事が入っていましたが、早々に終わらせて父がいるN大病院へ急ぎました。
幸いに、手術の翌日はICUから病棟に戻って来ていた父。
けれども、まだ点滴や血圧を図る機器などに繋いでいるチューブがいくつもあり、鼻にもチューブが入っているため話しをするのは辛そう…(-“-)
けれども、携帯電話と水差しの置き場所が気に入らないそうで‥‥(-“-)
「あーでもないこーでもない」と約10分、話をするのは辛そうだったのに、気に入った定位置を見つけるまで娘を使って携帯電話と水差しを移動させていた父を見て、
「これは、順調に回復するだろうな~」と思った私。
この後、手術前と同じように話しをしたり考えたり、動き回るようになるまで父の場合は約5日ほど掛かりました。
父の年齢(81歳)を考えると、退院する時には完全に手術前の状態まで戻れたのはかなり幸運なことだったと思います。
当然ですが、お腹を切る手術後は痛みがあるだけではなく、手術前と同じように動いたりするのはかなり辛いものです。父の年齢であれば、手術を契機として日常生活に支障が出るほど運動機能が後退することも十分にあり得たわけです。
しかも、重湯を食べられるようになるまでまるまる4日は何も食べられないわけですから、それに耐えながら日常生活の動作に戻れるかどうかは、本人の気力と体力次第です。
消化器系手術と術後管理の話
(手術後の回復は手術の内容や本人の体力等で変わってきます、こちらが参考になります)
まずは洗濯
わが父ながら凄いな~と思ったのは、私が特に何も言わなくても、黙々と毎日確実に回復出来るように看護師さんの言うことを守って自発的に動いたり、テレビを観たり、携帯でメールを送ったり、ラジオを聞いたりしていたことです。
ということで、手術後の父のために私がしなければならなかったことは洗濯だけ…
手術後数日は、1日おきに洗濯物を家に持って帰って、病院に持ってきてをやりましたが…
なんと!! 😯
父は手術から1週間経たないうちに、
『もう自分で洗濯をするから大丈夫!』
と言って、自分でやり始めました。
⇒父は私の洗濯物の畳み方がどうしても気に入らなかったらしい(._.)
もし私が自分の老後に、父のように入院をして手術をしたら、私も父のように自分のことは自分でやるようにしないといけないな…と父を毎日見ながら内心尊敬していました。
でも、私は洗濯物の畳み方に全くこだわりがないので、果たして洗濯を自分でしようとするだろうか???
薫は大変だな‥‥
こんなわけで、手術後3日くらいで熱は下がり、普通病棟に戻り洗濯を以前のように自分でやるようになって、一旦家に持って帰った父の荷物を再び病院に運び入れた私。
(手術後しばらく滞在したベッドはナースセンターの横で、常に看護師さんたちの見守りがある場所で、荷物を置くところがありませんでした)
父のボストンバッグでは重たいので、自分が海外出張の時に使うキャリーバッグを使って父の下着やらタオルやらを再び持ち込んだのですが…
父「薫、このタオルはごわごわして肌触りが悪いから、もっと肌触りが良いタオルを買ってきて欲しいんだけど…」
私「うん、わかった、お父さん。イオンで売っている洗濯してもごわごわしないタオル買ってくるね~」
父「この部屋は南向きなので一日中陽が入るから、シャツは半袖のシャツだけでいいから、長そでのシャツは持って帰って」
私「はーい、これ全部持って帰れば良いの?」
と末期癌を患った親と娘の会話とは思えないような呑気な会話を交わしながら、必要な荷物が病院に持ち込まれ、父が却下した荷物は家に持ち帰っていた私(._.)
だんだん顔色も良くなって、話し方もしっかりしてきた父だったのに、かなり小うるさいことを言われてもあまり気にならないのが不思議でした。
という感じで、多少感慨に浸っていた私に突然‥‥($・・)/~~~
『お父さんは色々やってもらえるから良いけど、薫が年取って病院に入ったら大変だな~ 誰にやってもらうんだ???』
『・・・( 一一)・・・・( ;∀;)』
それを今言いますか…お父さん‥‥
まあ、腹膜炎も起さず、敗血症も起さず元気に回復しているから、それだけで私は幸せだから、良いのよ、お父さん、その暴言は聞かなかったことにしてあげるね。
To be continued
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