先日ご縁があって参加させて頂いた某Fintech企業が主催した集まりの中で、幹部の方によるパネルディスカッションが終わり、質問を受け付けていた時に、こんな質問があった。
『なんでキャッシュレスなのですか?キャッシュはダメなのですか?』
うーん、とても素朴に確信を突いた質問で、私はこの質問に対してパネラーの方たちがどのように回答するのかとても興味を持ち、固唾を飲んで聞き入ってしまった。
『キャッシュがダメなわけではないのです。キャッシュは便利ですよね?どこでも使えるし・・・。でも、落したりしたら誰のものかわからなくなってしまったりしますよね?』
とても、親切な包容力のある回答に思わず微笑んでしまった。
比較的大金を持っていても強盗に襲われる可能性が極めて低く、お財布を落としても、拾った人が警察に届けてくれて戻ってくることもある日本にいると、確かに、現金が一番便利なような気がするのは一理ある。
現金主義の一番良いところは、個人的には、『お金を使っているという実感があること』ではないかと思う。お財布からお札がどんどん無くなっていけば、「あっ!!使い過ぎたかも!!」と自戒出来るのは、やはり現金が一番だと思う。
では、なぜ、今Fintechブームと共に官民こぞってCashless社会を目指しているのであろうか?
ここは、究極的に対となる『Cash only without credit』な社会とはどんな社会なのか実際に見てみれば、分かり易いと思う(やや極端な例ではあるが…)。
ということで、私がここ数年嵌っている韓国歴史ドラマの中で、商人(行首→ヘンス)が主役級で活躍している『朱蒙』の時代に遡ってみたいと思う。
「なに?朱蒙って?」
韓国歴史ドラマを見ている人ならほぼ絶対に知っているはずであるが、関心がなければ知らないはずである。朝鮮半島で紀元前37年に高句麗という国を建てた大王である。
ドラマは多分にフィクションな要素が入っているが、朱蒙が高句麗を建国するにあたり彼を支援をしたのは、当時その建国の地において権勢を誇っていた商人であったことは事実であったようである。
当時は、国の信用に基づく紙幣などは存在せず、通貨として銀貨や金貨が使われていた。
(そもそも、国の信用などというものは無かったに等しい)
その銀貨は、馬蹄銀と呼ばれていたらしい(後世に名付けられたとも言われていて諸説あるとのこと)
韓流や華流歴史ドラマを見ている人であれば、ドラマの中でよく見かける、このごつい銀の塊である
(Wikipediaより画像をお借りしました)
こんなごつい銀貨を沢山持って、当時、行首と呼ばれる商団のトップに率いられて、商人は諸国を巡り、塩、海産物、宝石、米などをその地の産物を仕入れては他の地で売るという商いをしていたわけである。
当然、商団は、銀貨を持って移動していることは周知の事実であることから、略奪に遭うことは珍しいことではなかったので、武力を習得させた私兵を同行させるのである。
(朱蒙の公式サイトより画像をお借りしました)
それでも、このように命を狙われるわけで、当時の商団は命がけであったわけである。
当然であるが、国の信用に基づいた紙幣があるわけでもないので、お金を貸してくれる銀行なども存在しない。
『Cash only without credit』な世界とは、このような2000年以上も前の世界を見ればよく分かるのである。(ここで言うCashは国の信用が存在しないので銀貨や金貨を指します)
つまり…
・Cashである銀貨は、盗まれたり落したりしたらまず戻ってくることはない。それどころか、持っていると分かると命すら狙われる。
・国による信用供与がないので紙幣は存在せず、金貨や銀貨などがCashとして流通しているが、その供給量は限られているので、物々交換もしないといけない。→経済の発展に限界がある
・銀行が存在しないので、常にCashである銀貨などを持ち歩いたり、自分で保管しないといけない。
→非常に危ないし、保管コストがかかる
時代が巡り、今では世界中の大抵の国は絶対的な信用を持ち得て、その信用に基づいて紙幣が発行されるようになり、銀行が出来て、必要がない時はその紙幣は預かってくれて、しかも金利までつけてくれるようになったわけである。
しかし、Cashの本質は変わらない。
落したら、普通は戻ってこないし、すべてのレシートを取っておかないと何に使ったか記録はされないわけである。
そして、今、Fintechブームの中で、「信用」そのものが進化しつつあるわけである。
それが、新しいクレジットスコアリング手法だったり、仮想通貨だったりするわけである。
どこかで、朱蒙が今の韓国を見ていたら、『時代は変わったなあ~』と感慨深く思っているに違いない!!と思う。
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